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書道芸術 - J+(ジェープラス)‐東大阪市徳連商店街の理髪店です。

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  • 【サクッと上達】文字が綺麗になる方法【ショートカット美文字学習】

    作成日2019年10月26日(土)

    東大阪のみなさん!鶴見区のみなさん!

    いつもご愛顧ありがとございます。

    品質第一の理髪店! hair salon J+ でございます。

     

    字を綺麗に書くために書道教室や通信教育を受けるのって面倒だという方が多いと思います。

     

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    そういう方のために、硬筆ならまぁなんとか手っ取り早く綺麗な文字を身に着ける方法があります。

     

    それは、中国の唐代(7~10世紀の中国で唐王朝が支配した時代)の手本で練習することです。特におすすめなのが「欧陽詢(おうようじゅん)」という書家の手本です。

     

    欧陽詢の作品で有名なのが「九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)」です。このタイプの手本の書籍なら大型書店で簡単に入手できます。

     

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     九成宮醴泉銘(出典:佘雪曼「新装版 書道技法講座<楷書>九成宮醴泉銘、1968年」)

     

     

     

    何故、欧陽詢がいいのか?

     

    それは、現在の日本で扱われている楷書体の基本的形状がほぼ「欧陽詢」に倣っているからです。

     

    そうなった理由は

     

    欧陽詢が活躍した唐代に楷書の基本形状が確立したから。

    ・唐代の書の原本は失われることが多いが、欧陽詢の書は石碑に多く残っているので、拓本として手本が流通しやすかったから。

    ・唐代は遣唐使をなどを通して日本との文化交流が盛んだったから。また、そのころ日本では空海や最澄などにより書道芸術が目覚ましく発展したから。

     

    っということです。

     

    時間に余裕がある方は行書から練習するのがおすすめ

     

    成人向けの書道教室や通信教育では、行書から練習することが多くなっています。

     

    何故なら、楷書は行書から作られた文字だからです。

     

    欧陽詢は「王義之(おうぎし)」による行書を手本にして楷書のスタイルを確立しました。王義之は書聖とよばれる書道の大家で今の書道芸術の源流になっていると言っても過言ではありません。

     

    また、文字には書く流れがあって、流れを止めるとギコチナイ文字になってしまいます。

    その流れを作りやすいのは、楷書より行書なんですね。

     

    王義之の行書を練習するには「集字聖教序(しゅうじしょうぎょうじょ)」という作品がおすすめです。

     

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     集字聖教序(出典:天石東村「新装版 書道技法講座<行書>集字聖教序、1970年」)

     

    一方、「蘭亭序(らんていじょ)」という作品は有名ですが酔筆(すいひつ:お酒飲んで酔って書く書法)なので芸術性は高いですが初心者には少しレベルが高いと思います。

     

     

     練習の仕方のコツ(大事なのは再現性)

     

    誰に見せても恥ずかしくない一流の文字をマネるわけですから、みるみる上達すると思います。

     

    しかし問題は、手本を見なくても綺麗な字が書けなければ意味がありません。字が上手な人は綺麗な文字の形をマルっと記憶してます。

     

    ですから、練習するときは字の形を憶えるようにしなければなりません。

     

    ある程度マネできるようになったら、手本を見ずに書いた後、手本と比較して修正箇所を見つけては、修正バージョンを書いてまた比較するという練習をしなければいけません。

     

    そうすれば、綺麗な文字を書く再現性が得られるようになります。

     

    では、美文字を目指してごきげんよう~! 

     

     

  • 大阪市鶴見区の美しい石碑(寝屋川の治水事業の歴史)

    作成日2019年10月07日(月)

    大阪市鶴見区放出東にある放出北児童遊園に一基の美しい石碑が静かに立っています。

     

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    何が美しいかというとその碑文の文字。これは大阪府知事の力石雄一郎氏による書で、虞世南(ぐせいなん)を思わせる柔らかいタッチが特徴的です。

     

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    内容は寝屋川の治水事業に関するものです。寝屋川の改修工事は 1922 年から 1927 年におよぶ大事業だったそうです。

     

    大阪は「浪華の八百八橋」とよばれるほど水運で栄えた町でしたがその反面、寝屋川などを含む淀川水域では慢性的な水害で悩まされてきました。

     

    碑文で言及されている大橋房太郎氏は、淀川、六郷川、寝屋川の治水事業に生涯を捧げた人物としてよく知られています。

     

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    大橋房太郎氏肖像(出典:松村道三郎「淀川治水二代 父大橋房太郎先生 子大橋治房先生」、1962年)

     

    大橋氏は若いころ法曹を志していて、河津祐之氏や鳩山和夫氏など当時の日本で屈指の大法律家のもとで学んだそうです。このとき自由主義や啓蒙思想など西洋の新しい思想に親しんでいました。

     

    明治維新以降の大阪の近代化と発展において、淀川水域の治水は欠かせません。大橋氏には、郷土愛だけではなく近代発展への強い思いが在ったのに違いありませんね。

     

    寝屋川、淀川治水事業に関する経緯や歴史は「小川 清、淀川の治水翁 大橋房太郎伝、2010年」で詳しくまとめられています。大阪の治水における先人の苦労と努力が深く理解できることと思います。

     

    最後に参考までに石碑の全文を掲載してみました。

     

    濁点・半濁点なし句読点なしのベタ詰めで読みづらいですが、鶴見区の歴史に興味のある方も、書道芸術にご興味のある方も、機会があれば足を止めて実物を見てもらうのもいいかと思います。

     

    力石書 記念碑
    寝屋川ハ源ヲ府下北河内郡星田村ニ発シ中河内北河内両郡及大阪市東成区ヲ貫流シ天満橋下流二於テ旧淀川二注ク流域耕地数千町歩ヲ潤シ加フルニ沿岸農村肥料其ノ他物資運搬ノ水路ヲ為セリ只惜ムラクハ遂年土砂沈殿シ殊ニ下流ニ洲沚アリテ洪水時ニハ濁水汎濫シ平時亦舟行二便ナラス是二於テ元東成郡榎本村長府会議員大橋房太郎君深ク憂ヒ大正三年之ヲ改修シテ一大運河ト為スノ急務ヲ府當局二訴ヘ尓来知府ノ交迭アル毎二熟誠陳情スル所アリシモ容レラレス同十年財源ニ充當スへク同村大字放出有井路敷九千百三千余坪ノ寄付出願ヲ為スニ及ヒ池松知事始メテ採用シ翌年四月二ヶ年継続事業トシテ元榎本村鯰江町内一部工事二着手シ同十三年三月工ヲ竣ヘ次ラ同年四月同村字徳庵ヨリ下流極楽橋間ヲ三ヶ年度継続支出トシテ起工シ昭和二年三月工全ク成レリ延長三十四丁ニシテ護岸高七尺五寸乃至十五尺川巾二十間水深干潮時三尺平均潮時六尺ナリ又左岸ニ三尺ノ舟曳道ヲ設ケ更ニ一橋ヲ架ス新喜多橋是レナリ而シテ総経費実ニ六拾五万七千余円ヲ要セリ惟フニ本川改修発議以来十有余年ニシテ所期ノ運河始メテ成ルヲ告ケ一ハ洪水ノ患ヲ絶チ一ハ舟楫ノ利ヲ大ニセリ今ヤ大阪市域擴張シ元榎本村鯰江町城東村ノ如キ沿岸地方新ニ編入セラレ百般ノ状勢日ニ都市化シ工業ノ勃興年ト共二旺盛ナラムトスルノ秘ニ當リ会々本運河ノ完成ヲ見ル正ニ大都市ノ隆運二資スル甚大ナルモノアラム而シテ池松知事ノ英断大阪府会ノ協賛大橋府会議員ノ努力ハ今後年ヲ経ルニ従ヒ益々顕著タル二至ラム最近大阪市都市計画事業トシテ新喜多橋下流天満橋間ノ改修ニ着手シ総工費三百余万円ヲ計上シ四ヶ年ヲ以テ完成ヲ告ケムトスゝ聞ク果シテ然ラハ本事業ノ如キ市計画大運河事業ノ前駆ヲ為スモノニシテ真ニ達見二基クモノト謂フヘシ因テ之ヲ永遠二記念セムトシ文ヲ予ニ需ム仍テ其梗漑ヲ敍シテ以テ報フ
                 大阪府知事  正四位勲三等力石雄一郎
      昭和三年十一月十日  大阪府土木部長従五位勲五等牛島  航
                 地方技師   従四位君四等成田 軍平